PR
スポンサーリンク

競馬4. 天馬 トウショウボーイ2

記事内に広告が含まれています。

3. 天馬 トウショウボーイ1から続きます。
引退後、トウショウボーイは種牡馬になりました。現在では、国産種牡馬が大活躍していますが、当時はあまり活躍していませんでした。「サラブレッドは血で走る」と言われ、当時、世界的には強い馬がいなかった日本馬は、種牡馬になることができる馬は少なかったと思います。当時は、テスコボーイ、ファバージ、パーソロン、ネヴァービート等が種牡馬として活躍していました。また、父内国産馬(マル父)のみ出走できるレースもありました、。

その中で初期の代表産駒は、シンザン以来19年振りのクラシック三冠馬ミスターシービーでした。主戦騎手は鉄仮面と呼ばれた吉永正人でした(ミスターシービーの全レースに騎乗)。父トウショウボーイとは異なり後方待機の追込み馬でした。後方待機のためか常に危なっかしいレースぶりでした。翌年の無敗の三冠馬シンボリルドルフは好位差しという安定したレースぶりでよく対比されましたが、その危なっかしさも相俟って、人気はすごいものがありました。
少し本題とは外れますが、ミスターシービーとシンボリルドルフについてもう少し記載します。
その2頭が、最初に対決したのは、1984年の第4回ジャパンカップでした。最近は外国馬はあまり来日せず、たとえ来日しても日本馬が勝利しますが、当時は外国馬の方が強く第3回ジャパンカップまで日本馬の勝利はありませんでした。それでも第4回ジャパンカップでは日本も三冠馬が二頭出走し、ミスターシービーは1番人気でした。一方のシンボリルドルフは4番人気でした。当時の記憶では前走の菊花賞から中一週で本調子でないと見られたため人気を落としていた記憶があります。
レースがスタートしました。カツラギエース(10番人気)が大逃げを打ちました。一方のミスターシービーは最後方、シンボリルドルフは中団でした。ミスターシービーのレースぶり(展開)をテレビで見ながら、「一流馬ばかりなのに最後方のレースをしって大丈夫かな?」と思っていました。案の定、見せ場なく10着に敗れ、カツラギエースが勝利し、シンボリルドルフは3着でした。シンボリルドルフにとって初めての敗戦でした。「後方の馬(ミスターシービー)が気になって、追い出しが遅れたため負けてしまった。」と岡部騎手が言っていた記憶があります。
その後も、ミスターシービーとシンボリルドルフは2度対戦しましたが、いずれもシンボリルドルフが勝利しました。

本題に戻ると、トウショウボーイはその後も数多くの活躍馬を出しました。アラホウトク、サクラホクトオー、ダイイチルビー等々。
競走馬としても種牡馬としても偉大な馬だったと思っています。

以上

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました