自己紹介でも挙げましたが、私の好きな馬の1頭であるトウカイテイオーについて投稿します。
トウカイテイオーは偉大な父シンボリルドルフ、母トウカイナチュラル(母の姉はオークス馬トウカイローマン)の子供として1990年に産まれました。デビューは中京競馬場で、テレビ放送もありませんでした。デビュー後は、重賞に出走せず、2戦目~4戦目はすべてオープン条件の芝2000mのレースに出走していました。
とにかくテレビでの第一印象は「かっこ良い馬」でした。460kg程度の馬体で、歩き方も長い前髪もかっこ良かったです。
4戦無敗で迎えた皐月賞。まだ、馬券の種類が単勝・複勝・連勝複式(枠連)しかない時代で単枠指定馬となり、枠は大外の8枠18番になりました。初めての重賞挑戦でしたが1番人気でした。2番人気は、弥生賞経由のイブキマイカグラ(こちらも単枠指定馬)でした。勝つだろうと思っていました(祈っていました)が、これまでのレースよりも相手が数段強くなるため、半信半疑の部分もありました。
スタートしてうまく4、5番手につけました。投稿するにあたりレースを見たのですが、大外から余裕をもって抜け出しました。父に続き無敗の皐月賞馬になりました。2着には16番人気のシャコーグレイドが入りました。1着馬の父シンボリルドルフ(1984年の三冠馬)、2着馬の父ミスターシービー(1983年の三冠馬)で、両父の現役時代の力関係の通りの結果となったのを覚えています。
続く東京優駿(日本ダービー)ですが、このレースでも単枠指定馬となり、枠は大外の8枠20番となりました。投稿するにあたり本レースも見たのですが、皐月賞同様、大外から余裕をもって抜け出しました。偉大な父と同じ、デビューから6戦目で無敗のダービー馬になりました。
残念なことにこのあと骨折がわかり、父に続く無敗の三冠馬誕生とはなりませんでした。
翌年、G2の産経大阪杯で復帰しました。これも圧勝しました。その次走は天皇賞(春)になりました。天皇賞(春)には、最強のステイヤーであるメジロマックイーンも出走してきました。頭の片隅には「3200mならメジロマックイーンの方が強いかも」と思いつつ、「どちらが歴史的名馬かと考えると、ここまで全勝のトウカイテイオー」と思い、トウカイテイオーを応援しました。1番人気トウカイテイオー、2番人気メジロマックイーンとなりました。レースは、メジロマックイーンが前につけ、トウカイテイオーがマークする形となりました。3コーナーあたりからメジロマックイーンが仕掛け、トウカイテイオーも追いかけました。しかしながら、トウカイテイオーは直線で失速・5着に惨敗し、メジロマックイーンが王道レースで圧勝しました。原因は距離かとは思いましたが、一方で順調に3000mの菊花賞を使い、長距離経験することができていれば、結果は変わっていたのかも・・・と、トウカイテイオーファンの私は妄想しました。
レース後、骨折が判明しました。軽度のため、同年の天皇賞(秋)に間に合いました。1番人気でしたが7着に敗れました。(この前後は、天皇賞(秋)は1番人気になった馬はあまり勝てませんでした。その前年(1991年)のメジロマックイーンは1着に入線したのですが、18着降着となりました。)
その次走ジャパンカップでは、世界の強い馬がいるためか5番人気でした。レースでは、いつも通り4、5番手につけました。直線半ばで追い始め、見事勝利しました。父シンボリルドルフ以来、7年ぶりの日本馬の勝利となりました。引退レースの有馬記念が奇跡の復活と言われていますが、このジャパンカップも奇跡の復活勝利だったと思います。同年の次走有馬記念は1番人気でしたが、見せ場もなく11着に敗れました。
残るは上述した引退レースの翌年の有馬記念です。1年ぶりのレースでした。1番人気ビワハヤヒデ(ナリタブライアンの兄)をはじめとして、豪華メンバーがそろい、4番人気でした。1年ぶりかつ故障明け、しかもG1の有馬記念ということで、どのようなレースになるのか見当もつきませんでした。
レースでは1番人気ビワハヤヒデが前につけ、トウカイテイオーは序盤は中団につけました。3コーナーあたりから手ごたえ良く上がっていきました。直線では、見事にビワハヤヒデをかわし、奇跡の復活を果たしました。
翌年引退し、種牡馬になりました。トウカイポイントやヤマニンシュクル等のG1馬も輩出しましたが、親子3世代のクラシック制覇をするような馬は残念ながら輩出できませんでした。
また、引退後、父と同じくJRA顕彰馬にも選ばれました。とにかく、かっこ良さでは1番でした。
以上