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競馬24. 皇帝シンボリルドルフ

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競馬12の投稿でも少し記載しましたが、トウカイテイオーの父シンボリルドルフについて投稿します。父パーソロン、母スイートルナ(母父スピードシンボリ)で、1981年に産まれました。父パーソロンの産駒成績も良く(サクラショウリサンエイソロンの父)、優秀だったのですが、種牡馬としてはテスコボーイノーザンテーストの後塵を排していました。
私が初めてシンボリルドルフをテレビで見たのは弥生賞でした。1番人気は無敗4連勝中のビゼンニシキで、シンボリルドルフは2番人気でした。私の記憶では、直線に入ってビゼンニシキがシンボリルドルフに迫った場面もあったのですが、シンボリルドルフが追い出し始めると、その瞬発力でビゼンニシキを突き放したと思います。
その次走の皐月賞でもビゼンニシキと一騎打ちになり、1冠目を勝利しました。
東京優駿(日本ダービー)では、他の馬が直線で追い出しをはかる中、なかなか先頭をとらえきれなかったのですが、最後に抜け出し2冠目も勝利しました。騎手の岡部氏によると、追い出しを遅らせたのは、馬自身の判断だったみたいです。ちなみにビゼンニシキは距離の壁のためか14着でした。
最後の3冠目の菊花賞では、2着のゴールドウェイに3/4馬身差まで迫られましたが見事勝利し、中央競馬史上初の無敗の三冠馬誕生となりました。
その後、中一週でジャパンカップに向かいました。前年の三冠馬ミスターシービーや海外の強豪馬も出ており、しかも体調が万全でないとの報道もあり4番人気でした。レースも、ミスターシービーの追い込みを警戒しすぎたせいかわかりませんが、追い出しが遅れ、残念ながら3着に敗れました。勝ち馬は日本馬のカツラギエースでした。
次走は有馬記念でした。シンボリルドルフ、ミスターシービー、カツラギエースが揃って出走してきました。カツラギエースが逃げ、シンボリルドルフが離れた2番手、ミスターシービーは後方。最後の直線ではカツラギエースをかわし、見事勝利しました。
翌年は、春の天皇賞で三度ミスターシービーを下しました。
その後、宝塚記念を取り消し、次走は秋の天皇賞になりました。もちろん1番人気でしたが、伏兵「あっと驚くギャロップダイナ」の差しに屈しました。2度目の敗戦となりました。競馬に絶対は無いのだなと思いました。
次走ジャパンカップでは前年の雪辱を果たしました。
その次走の有馬記念は、その年の2冠馬のミホシンザンが出ていました。シンザンの最高傑作とも呼ばれていたので、対決を非常に楽しみにしていました。が、終わってみればシンボリルドルフの圧勝、ミホシンザンは4馬身差の2着でした。この有馬記念が日本での最後のレースになりました。
この後の海外遠征は、競馬12の投稿でも記載しましたが、残念な結果に終わりました。
シンボリルドルフは皇帝と呼ばれるにふさわしい名馬でした。

以上

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