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競馬12. 同期のライバル騎手 (岡部幸雄氏、柴田政人氏)

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馬事公苑花の15期生は16名で、うち騎手となった者が14名いたらしいです。うちJRA騎手顕彰者となった他の2人(岡部幸雄氏、柴田政人氏)について記載します。
岡部幸雄氏柴田政人氏は、福永洋一氏が健在の頃は成績も特筆するほどではなく、関東の騎手であったこともあり、当時はあまり知りませんでした。
岡部幸雄氏が一気にスターダムとなったのは、シンボリルドルフと出会ってからだと思います。初めて無敗の三冠馬となり、前年度の三冠馬ミスターシービーを完膚なきまで叩きのめし、驚くほどの強さでした。最初に強いなと思ったのは、弥生賞です。1番人気は無敗4連勝中のビゼンニシキでした。そのビゼンニシキの過去4戦にも岡部幸雄氏が騎乗していました。弥生賞ではビゼンニシキに乗るのかと思っていたのですが、当時、「僕が選んだ方が強いと思ってください」と言って、シンボリルドルフを選択したらしいです。この選択をして実際に勝利したので、すごい騎手だなと初めて思いました。シンボリルドルフで残念だったのは、海外遠征のサンルイレイステークスです。レース中の故障もあり7頭立ての6着に終わりました。圧勝すると思っていたので大変残念でした。このレースを最後に引退したのですが、種牡馬になった後、初年度の産駒からトウカイテイオー(JRA顕彰馬)を出しました。
岡部幸雄氏はその後も強い馬に乗り続け、最終的にJRA歴代2位となる2943勝を挙げました(もちろん歴代1位は武豊騎手です)。
一方の柴田政人氏ですが、福永洋一氏の親友だった記憶があります。福永洋一氏の落馬事故後も一番心配していた記憶があります。騎手としては、福永洋一氏、岡部幸雄氏よりも少し遅れてスターになった記憶があります。
やはり忘れられないのは、東京優駿(ダービー)のウイニングチケットだと思います。その年は、ビワハヤヒデ、ナリタタイシンとともに3強と呼ばれました。3強全頭が三冠レースに出走し、一冠ずつ分け合いました。しかもビワハヤヒデには岡部騎手、ナリタタイシンには武豊騎手が騎乗していました。
柴田政人氏は、ダービージョッキーとなった2年後に落馬事故の影響もあり、引退することになりました。その後、3人の中では唯一調教師となり、2019年に調教師も引退しました。

以上

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