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天才 福永洋一

競馬10. 1979年 毎日杯(最後の騎乗)

1979年は福永洋一氏にとっては桜花賞3連覇を目指す年でした。騎乗候補の1頭がマリージョーイでした。2連勝(山内研二氏騎乗)の後、3戦目は福永洋一氏で9着(ただし初の不良馬場)に敗れ、出直しの4戦目でした。当日は良馬場で、6番人気でした。当...
天才 福永洋一

競馬9. 福永洋一氏最後のダービー(1978年)

1978年、福永洋一氏に牡馬の有力馬はいませんでした。皐月賞にも騎乗馬がおらず、東京優駿(ダービー)ではようやくカンパーリが間に合ったという感じだったと思います。カンパーリは、福永洋一氏がもともと所属していた武田文吾厩舎(三冠馬シンザンを育...
天才 福永洋一

競馬8. オヤマテスコ(1978年桜花賞馬)

次は、1978年の桜花賞馬オヤマテスコです。前年に桜花賞ジョッキーとなった福永洋一氏は桜花賞の連覇を目指していました。当初は、前年の桜花賞馬インターグロリアと同じ馬主、調教師のインターメディアの名前が挙がっていました。初戦の新馬戦は勝利しま...
天才 福永洋一

競馬7. インターグロリア(1977年桜花賞馬)

福永洋一氏にとって、初の牝馬クラシックレースをもたらしたのは、インターグロリアです。残念ながら、福永洋一氏が騎乗した桜花賞のレース振りはあまり覚えていません。同年の皐月賞のハードバージの直線はおぼろげながら覚えているのですが。。。同期のイン...
天才 福永洋一

競馬6. 不世出の天才騎手 福永洋一

中央競馬の騎手の顕彰者は現在7人です。その中で馬事公苑花の15期生は3人(福永洋一氏、岡部幸雄氏、柴田政人氏)もいます。その中で私が好きだった「不世出の天才騎手 福永洋一」について述べます。福永洋一氏は、現在では福永祐一氏(現調教師)の父親...
競馬あれこれ

競馬5. 流星の貴公子 テンポイント

本投稿では、トウショウボーイのライバルであったテンポイントについて記載します。当時、関東馬と関西馬では、関東馬の方が強かった記憶があります。その中で、関西からスターホース候補としてテンポイントが現れました。栗毛の非常にきれいな馬で、流星の貴...
競馬あれこれ

競馬4. 天馬 トウショウボーイ2

3. 天馬 トウショウボーイ1から続きます。引退後、トウショウボーイは種牡馬になりました。現在では、国産種牡馬が大活躍していますが、当時はあまり活躍していませんでした。「サラブレッドは血で走る」と言われ、当時、世界的には強い馬がいなかった日...
競馬あれこれ

競馬3. 天馬 トウショウボーイ1

管理人自己紹介にも記載しましたが、私の好きな馬にトウショウボーイがいます。最初に好きになった馬です。いつもの通り、1977年6月5日の宝塚記念の前日に競馬ブック(もちろん関西版)を買いに行きました。最初に私がそれを見ていたのですが、トウショ...
競馬あれこれ

競馬1. 競馬との出会い

私が生まれた1966年は高度経済成長の真っ只中でした。生まれてからしばらくは電話もなく、1973年の自宅の引っ越し時にようやく電話(もちろん固定電話)が開通しました。詳細な記憶はありませんが、普通の家庭に育ったと思います。ただ、父は競馬が好...
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