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競馬8. オヤマテスコ(1978年桜花賞馬)

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次は、1978年の桜花賞馬オヤマテスコです。
前年に桜花賞ジョッキーとなった福永洋一氏は桜花賞の連覇を目指していました。当初は、前年の桜花賞馬インターグロリアと同じ馬主、調教師のインターメディアの名前が挙がっていました。初戦の新馬戦は勝利しましたが、2戦目のたちばな賞で惨敗、その後わずか2戦で引退したようです。理由等は覚えていませんが、その後繁殖牝馬になったみたいです。
ちなみに、今では新馬戦は1回しか走ることはできませんが、当時は同じ開催(通常8日間(4週間))の範囲内であれば、複数回走ることができました。
1978年はラブリトウショウが桜花賞候補だったのですが、桜花賞前に故障しました。オヤマテスコについては、どの程度の期待馬だったのかは覚えていません。が、昇り馬として期待され、桜花賞では2番人気になりました(最近では、G1馬になるような強い馬はレースを選びながら大事に使われますが、当時は結構使われていました。オヤマテスコは桜花賞が7戦目でした)。
当日、テレビでレースを見ていました。福永洋一氏のファンであった私は当然オヤマテスコを応援していました。オヤマテスコは21頭立ての大外をぶん回してきました。直線に入ったところで数頭が横一直線で、かなりの大外を回ってきた記憶があります。そこで事件?が起こりました。オヤマテスコが内に切れ込み、内にいた数頭が不利を受けました。一応、鼻差で1着になりました。そのとき審議になったのかどうか記憶がないのですが、そのまま確定しました。当時は、降着制度がなかったので失格になる可能性があったのですが、大丈夫でした。「福永洋一が騎乗していたから・・・(一種の忖度)」というような声があったようで、当時かなりの物議をかもしていた記憶があります。
その後はあまり良い成績も残せず、福永洋一氏が騎乗することも少なく、引退にいたりました。

以上

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