ミスターシービーは、私が競馬に興味を持って初めての三冠馬。それ以前の三冠馬は、セントライト、シンザンで、私が生まれる前のできごとでした。
また、ミスターシービーの父は私の好きなトウショウボーイでした。なので興味を持っていました。ちなみに父内国産馬として初の三冠馬です。
今回、投稿するにあたり、あらためて皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞のレースをJRAの映像で見ました。
皐月賞は不良馬場。レースには、カツラギエースやニホンピロウイナーといった知っている馬も出走していましたね。単枠指定馬で1番人気でしたがオッズ3.2倍で圧倒的な1番人気ではありませんでした。スタートして直後は内ラチ沿いの後方でしたね。最後方ではなかったですが。直線向くと、知らぬ間に先頭に取りついていました。2着メジロモンスニーとたたき合いになりましたが、ずっと半馬身くらいの差でしたね。
日本ダービーは良馬場でした。単枠指定馬で1番人気でしたがオッズ2.5倍(netkeiba情報)で、本レースでも圧倒的な1番人気ではありませんでした(Wikipediaにはオッズ1.9倍と記載あり)。桜花賞馬(もちろん牝馬)のシャダイソフィアも出走していましたね。このレースも後方待機でした。直線では外から1頭だけ違う脚を使いましたね。着差こそ2着メジロモンスニーと1 3/4馬身差でしたが、内容的には圧勝ですね。
秋は京都新聞杯からスタートとなりました。当時、京都新聞杯は菊花賞トライアルでした。残念ながら4着に敗れました。
迎えた菊花賞。単枠指定馬で1番人気でしたがオッズ2.8倍(netkeiba情報)で、本レースでも圧倒的な1番人気ではありませんでした。父トウショウボーイということから、距離3000mに対応できるのか不安視されていました。レース序盤は最後方。3コーナーあたりから加速し、2番手まで上がりました。不安に思いましたが、結果的に3馬身差をつける圧勝でした。
翌年は、秋の天皇賞を勝利し、その次走のジャパンカップでは1歳下の三冠馬シンボリルドルフと初対戦となりました。もちろん世界の強豪もいます。1番人気にはなりましたが、オッズ4.4倍。今まで通り、最後方からレースを進めましたが、10着に敗れました。結局、シンボリルドルフとは3度戦い、3度とも後塵を拝することになりました。そのせいか、「世代のレベルが低いため三冠馬になれた」と言われました。が、カツラギエースやニホンピロウイナーに加え、リードホーユー(有馬記念勝ち馬)もいたので、決してそのようなことはないと思っています。翌年の三冠馬シンボリルドルフが強すぎたのだと思っています。
以上