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競馬19. 1990年頃の芦毛馬人気3(メジロマックイーン)

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メジロマックイーンはタマモクロスの3歳年下、オグリキャップの2歳年下で、残念ながら直接対決することはありませんでした。
デビューは遅く4歳(現3歳)の2月でした。なかなかうまくいかず春先は条件戦への出走を続けていました。秋の菊花賞を目標にしていましたが、うまく賞金を加算できず、何とか菊花賞への出走がかないました。
当日は4番人気でした。1番人気は同じメジロのメジロライアンでした。結果、快勝でした。
その後は、長距離レースを中心に快進撃が続きました。一方で、2000m程度の中距離レースでは早め抜け出しで長く脚を使う戦い方で挑み、良い成績を残しました。
忘れられないレースは、まずは1991年の天皇賞(秋)ですね。2000mの距離、不良馬場のレースでどうなるかと思いましたが、早め抜け出しで2着プレクラスニー(本馬も芦毛馬)に6馬身の差をつけて入線しました。しかしながら、日本のG1競走史上初めてとなる1位入線後の降着となりました。最後の直線ではなく、2コーナーでの出来事だったので、まったく気づきませんでした。東京芝2000mはスタート直後にすぐ2コーナーにさしかかるので、外枠の馬は内側に切れ込むことがあるのですが、それが天皇賞で起こりました。
続く忘れられないレースは、その次走のジャパンカップです。海外馬との力関係がわからなかったのですが、どの新聞を見ても「メジロマックイーンが勝つ」ようなことが書いてあったので、珍しく1番人気の単勝を買いました。残念ながら切れ味に劣り、4着に敗れました。
その次は、その次走の有馬記念です。「あっと驚くダイユウサク(14番人気)」に敗れました。1991年の秋のメジロマックイーンは呪われていると言われていました。
その次は1992年の天皇賞(春)です。これはトウカイテイオーとの夢の対決ということで注目を集めましたが、圧勝でした。
最後は1993年の天皇賞(春)です。天皇賞(春)3連覇を狙ったのですが、ライスシャワーに負けてしまいました。
種牡馬としては活躍できませんでしたが、「母の父」として名前も残り、メジロマックイーンの血は残っています。(ドリームジャーニー、オルフェーヴル兄弟、ゴールドシップ等)
以上

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