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競馬21. メジロアルダン

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私の好きな馬の一頭であるメジロアルダンは1985年生まれで、同じ馬齢の馬は、オグリキャップ、スーパークリーク、ヤエノムテキ、サッカーボーイ、サクラチヨノオー等です。
好きな理由ですが、子供の頃から血統に興味を持っていたこと、4戦目で東京優駿(ダービー)2着という戦歴、頭の低い走法が好きだったこと等が挙げられます。
アスワンは現役時代は6戦3勝で、種牡馬になれるような戦績ではありませんでした。Wikipediaを見る限り、父ノーザンテーストの血を引いている点に期待され、種牡馬になったようです。一方の母メジロヒリュウは、牝馬三冠馬メジロラモーヌの母でした。つまりメジロアルダンはメジロラモーヌの半弟でした。
デビューは年明け3月27日の未出走戦(もう今は無いレース名ですが当時は未勝利戦が終了後に未出走戦がありました)だったようで、通常ではダービー(5月29日開催)には間に合わないくらい遅いデビューでしたが、何とか間に合いました。ダービー当日は、メジロラモーヌの弟だったことと、経験浅く未知の魅力がたっぷりだったので、興味ある1頭でした。JRAの映像を見たのですが、非常に惜しい負け方でしたね。残念ながら骨折してしまいました。その後も堅実に走り続けたのですが、屈腱炎にもなりました。
それでも、1990年秋の天皇賞で2着になりました。このときもダービーと同じく頭差の2着でした。メジロアルダンは非常に堅実に走る馬で、前走までの戦績は4-3-2-1(1着、2着、3着、着外の順)でした。唯一の着外も4着でした。
そして期待された1990年の有馬記念、このときは2番人気で、1番人気はホワイトストーンでした。私も応援していました。
この年の有馬記念は天皇賞、ジャパンカップと惨敗を続けたオグリキャップの引退レースでもあり非常に注目されたレースでした。
スタートし、メジロアルダンは2、3番手につけました。正直、勝つことを期待していました。が、最後の直線の入口ぐらいで手ごたえ無くずるずると下がっていきました。初めての10着大敗でした。私の記憶では屈腱炎の場所が右前脚で、中山競馬場のような右回りの競馬場では脚への負担が大きかったのではと解説者(or アナウンサー)が言っていた記憶があります。実際に、有馬記念の2走前のオールカマー(中山競馬場)でも4着に敗れていました。
蛇足ですが、このときの有馬記念の直線で解説者の大川慶次郎氏が「ライアン」と叫んだ声がテレビ中継内で聞こえたことは語り草である。立派な放送事故ですね。
なお、有馬記念の後、メジロアルダンは3走したのですが、輝くことはできませんでした。脚元が強ければもっと活躍できた馬だと思います。

以上

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