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競馬7. インターグロリア(1977年桜花賞馬)

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福永洋一氏にとって、初の牝馬クラシックレースをもたらしたのは、インターグロリアです。残念ながら、福永洋一氏が騎乗した桜花賞のレース振りはあまり覚えていません。同年の皐月賞のハードバージの直線はおぼろげながら覚えているのですが。。。
同期のインターグロリア、アイノクレスピン、リニアクインは牝馬3強と呼ばれていました。ファインニッセイ等もいて結構粒揃いでした。桜花賞とエリザベス女王杯(当時は秋華賞はなかったです)はインターグロリアが勝ち、優駿牝馬(オークス)はリニアクインが勝ちました。「フケ」の症状が出なければ、インターグロリアが牝馬3冠を取ったのではないかと思います。それくらい強い牝馬だったと思います。
当時は、古馬牝馬のみのGI級レース(10大競走)はなかったです。強い牝馬は、天皇賞(春、秋)、宝塚記念、有馬記念を目指すか、他の重賞レースに出走するしかありませんでした。一方で、当時は牡馬、牝馬に能力差があると考えられていたことや、天皇賞(春、秋)、宝塚記念、有馬記念は中距離(2200m)以上のレースであったことから、挑戦さえしない牝馬が多かったです。
そんな中で果敢に挑戦していったのがインターグロリアでした。さすがに天皇賞(春、秋)は距離が3200mのためか出走したことはありませんでしたが、宝塚記念、有馬記念には挑戦していました。残念ながらそれらのレースでは福永洋一氏は騎乗していませんでしたが馬の応援はしていました。
その中で、1978年の有馬記念ではカネミノブの2着に来ました。JRAのホームページを見るとレコード決着だったようです。
このレースは別の意味でも非常に覚えています。それは、このレースのとき私は小学校6年生で、同じクラスに同じく競馬好きのT君がいたのですが、翌日小学校に行くと馬券的中したと聞きました。しかも枠連7330円を1000円購入していたらしいです。非常にうらやましかったです。ちなみに、私は、馬券購入はしていませんでした。

以上

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