PR
スポンサーリンク

競馬18. 1990年頃の芦毛馬人気2(タマモクロス)

記事内に広告が含まれています。

タマモクロスオグリキャップの1歳年上です。デビュー直後はほとんど活躍できませんでした。
その後、4歳(現3歳)の秋から活躍しだしました。連勝し続け、翌1988年の天皇賞(春)に出走しました。初めてのG1レースのためか、前走の阪神大賞典が1着同着だったためかわかりませんが、1番人気ながらオッズは4.4倍で、圧倒的1番人気というわけではありませんでした。当日のレースをテレビの生中継で観戦していたかどうか記憶にありませんが、3馬身差の圧勝でした。
続く宝塚記念は2番人気でした。1番人気はニッポーテイオーでした。しかしながら結果的には圧勝で、7連勝を飾りました。
この後は秋のレースになります。当時は、G1前に一叩きする場合が多かったのですが、タマモクロスは天皇賞(秋)に直行でした。一方のライバルである6連勝中のオグリキャップは毎日王冠で一叩きしていました。またオグリキャップの人気はすごく、1番人気はオグリキャップに譲る形となりました。レースはタマモクロスの方が前に位置しました。直線でもタマモクロスの脚色は衰えず、勝ちました。予想以上に差がついて強かったです。天皇賞春秋連覇、天皇賞2勝を達成した初めての馬となりました。(なお、1980年までは、天皇賞を1度勝った馬は、以降の天皇賞に出走することができませんでした)
次走はジャパンカップでした。1番人気でした。2番人気はトニービン(海外からの招待馬で凱旋門賞勝ち馬)、オグリキャップは3番人気でした。結果、1着はペイザバトラー(海外からの招待馬)、タマモクロスは2着、オグリキャップは3着でした。オグリキャップには勝ちましたが、勝ち切ることはできませんでした。
最後は引退レースとなった有馬記念でした。オグリキャップと3走連続での対決となりました。1番人気でしたが、結果はオグリキャップの2着となりました。対オグリキャップの戦績は2勝1敗で、競走生活を終えました。
引退後種牡馬となり、カネツクロスマイソールサウンド等のG2馬は出ましたが、G1馬は出ませんでした。

以上

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました