「競馬14. かかる(引っかかる)」で投稿したプレストウコウは、当時は珍しい芦毛の強い馬でした。「芦毛の馬は走らない」と言われていた時代でした。
そのようなことが言われなくなったのは、タマモクロス、芦毛の怪物オグリキャップ、メジロマックイーン等の出現からだと思います。
その3頭の中から、アイドル的人気を博し、第二次競馬ブームの立役者となった芦毛の怪物オグリキャップについて最初に投稿します。ちなみに第一次競馬ブームの立役者はハイセイコーです。この2頭の共通部分は、地方競馬出身ということです。ハイセイコーは比較的メジャーな大井競馬出身でしたが、オグリキャップは比較的マイナーな笠松競馬出身でした。
オグリキャップは笠松競馬を12戦10勝しました。うち中央競馬移籍前の7戦は安藤勝己氏が騎乗し、7連勝しました。
その後1988年に中央競馬に4歳時(現状の馬齢だと3歳に相当します)に移籍しました。初戦のペガサスステークスこそ2番人気となりましたが、見事1着になりました。クラシックレースへの事前登録をしていなかったため、クラシック三冠には出走できませんでした。(現在ではクラシック追加登録制度があるので追加登録による出走可能)
秋は、毎日王冠で中央移籍後6連勝を達成し、天皇賞、ジャパンカップ、有馬記念に出走します。一歳年上で同じ芦毛馬のタマモクロスと対決します。残念ながら、1勝2敗でした(これらは、「競馬18. 1990年頃の芦毛馬人気2(タマモクロス)」を参照ください)。
翌年タマモクロスは引退しますが、スーパークリーク、イナリワンとともに3強対決で競馬界を盛り上げました。
オグリキャップには、タマモクロスとの3戦連続対決、1989年のマイルチャンピオンシップでのバンブーメモリーとの激闘、1990年の引退レース有馬記念での復活走等印象に残るレースが多くありますが、個人的に印象に残っているレースは以下の3レースです。
・1989年のオールカマー:直線に入った時の一瞬の脚がすごかった
・1989年のジャパンカップ:マイルチャンピオンシップから連闘での、レコードタイムのクビ差2着
・1990年の安田記念:楽な手ごたえでの楽勝
個人的にはオグリキャップは基本的にはマイラーだと思います。中距離以上も能力で走っていましたが、マイル戦で走った時の強さは格別でした。マイル戦でサッカーボーイとの同年齢頂上対決を見たかったです。
以上