初めてプロレスについて投稿します。
私は昭和41年生まれなのですが、私にとっての昭和のスーパースターの一人がアントニオ猪木氏です。もう一人は山口百恵さんです。
アントニオ猪木氏は、新日本プロレス所属でした。当時は、金曜日の20:00から生放送でテレビ中継がありました。一方のジャイアント馬場氏の率いる全日本プロレスは土曜日の20:00から生放送でテレビ中継がありました。
リング入場のときに羽織っていたガウンがかっこよく、また試合前にリングアナウンサーから「アントニオ~イノ~キ~」と紹介のコールがあったときのガウンの脱ぎ方がかっこよかったです。当時はまだ土曜日の午前中は授業があったのですが、よく土曜日の休憩時間には前日のプロレス放送の話をしていました。(ただ、小学校3年生~6年生のときは、習い事(柔道)にいやいやながら行かされ、また、家庭用のテレビ録画ビデオもなかったことから、ほとんど見ることができませんでした。)
また、小学校の時には、2時限目と3時限目の20分休憩や、昼休みの休憩のときには、晴れた日はグラウンドでドッヂボール、雨の日は教室でプロレスごっこをやっていました。もちろん本気でやるわけにはいかないので、技をかける役とかけられる役を決めて、技の掛け合いをしていました。
まだ、「延髄蹴り」はなかったのですが、よくやっていた技は、猪木氏の得意技である「インディアン・デスロック(最近までインディアン・デストロックと思っていました)」からの「弓矢固め(ボーアンドアロー)」でした。実際にやってみると、インディアン・デスロックは一度かけられると逃げるのが困難でした。また、ザ・デストロイヤーの必殺技「足四の字固め」もよくやっていました。これも一度かけられると逃げるのが困難でした。
一方で、あまり痛くなかったのがコブラツイストでした。小学生はあまり筋肉もなく、体もできていなかったので、痛くなかったのかもしれません。ただ、この技がフィニッシュ技として実際の試合で使用されることがあったのですが、本当に効いていたのかは子供ながら疑問に思っていました。
以上